2ある社会的落伍者の社会貢献

ランボーヴェルレーヌ中原中也宮沢賢治金子みすず・・・
この世界には詩人という人種がいる。

周りの人々が、生きる為・食うために必死に労働をしている中、
彼らは誰に頼まれる訳でもなく、
身の回りにあるもの・世界・感情を言葉を用いて再表現する。

周りの人々が社会の中で努力に見合った報酬や地位を得て、
幸せな家庭を築いていく中、
彼らはただ一人、現実を直視せず、
空を見上げては物思いに耽っている。

誰にお願いされた訳でもないのに、
詩人はその創作の苦しみや自我との葛藤から、
生活苦に陥り、人間関係は崩壊し、破滅的な人生を送ってしまう。
富からは遠のき、野心は満たされず、必要とされず、
社会的落伍者のレッテルを貼られ、変人扱いされて、
己の魂の意味すらも見出すことができずに、
世の不条理ばかりを体に浴びながらその生涯を閉じていく。

彼らの命が無残に散った後、
自身の人生を犠牲にして生み出した創作物を我々は読んで、
その詩の持つ力や詩自体の存在意義を深く深く認識する・・・。

もちろん上のケースに当てはまらない詩人も多くいるだろう。

しかし私には先に挙げたような先人達は、
まさに神に奉仕するがごとく、
詩という官能的な調べを社会に与える為に存在した
「選ばれた人々」のような気がしてならない。

それが本人にとって幸福かどうかは分からないが・・・

これはなかなか真似出来るものではない。