39『赤目四十八瀧心中未遂』 荒戸源次郎監督作品

【スタッフ】
監督:荒戸源次郎『ファーザーファッカー』
原作:車谷長吉赤目四十八瀧心中未遂』(文藝春秋刊)
脚本:鈴木棟也
撮影:笠松則通『闇の子供たち』『東京タワー』
美術:金勝浩一『ピンポン』『火々』
編集:奥原好幸『完全なる飼育』『血と骨
音楽:千野秀一風の歌を聴け』『竜馬を切った男』
照明:石田健司『ほとけ』『ピカ☆ンチ
録音:柿澤潔『69sixty nine』『ナイン・ソウルズ

【キャスト】
生島与一:大西滝次郎
綾:寺島しのぶヴァイブレーター』『愛の流刑地
岸田勢子:大楠道代ツィゴイネルワイゼン 』『春の雪』
彫眉:内田裕也IZO』『探偵物語
犀:新井浩文『69sixty nine』『血と骨
真田:大楽源太

【感想】(以降ネタばれを含みます)
高学歴ながら社会に適応できず、現実から逃れ各地を転々とする青年・生島は辿り着いた尼崎で、串物やを営む勢子のもとに厄介になる。古い共同アパートの一室で臓物をさばき串詰めする何の変哲もない日々。皆が口をそろえて言う「あなたにはこの街で生きていかれへん」。猥雑でずる賢く暴力的、そしてどうしようもないほど欲にまみれたこの街で
生島はアパートの住人で在日朝鮮人の女性・綾に惹かれ、交わり、彼の人生を今までにない方向につき動かしていく・・・


断言できる。これは徹底的に「純文学」であると。
まず主人公の生島の「ダメ男加減」が素晴らしく光る。端正な顔立ちに対してそのドモリ具合、何かを喪失し探し求める開いた大きな目、無駄に生やされたインテリを感じさせる髭。そして唯一の語り合える辞書の存在。
関わりをもった女性の下着を新聞紙で包んで持っているあたりは、もうたまらなく純文学的である。
一方で京都の老舗で匂い袋を選んでいるあたりの彼の佇まいは落ち着いて品があり、彼の過去の素性を垣間見せる。

尼崎で彼が住む、裏路地で辛うじて生きている四畳半一間のボロアパートがまたいい。
無情に差し込む西日。歩く度に軋む床と会話が筒抜けの廊下。下駄履きに履き替えて使う共同トイレ・・・
端正な顔のこの男が煤けた壁を背にして慣れない手つきで臓物いじりをしているだけで、観る側を圧倒するほど映像に力がある。
ここで印象的なのは彼が住んでいるこの部屋、とにかくドアが開く。
彼に用がある人間が訪ねてきては何度も何度もドアを開ける。
当然このドアには鍵がかかっていない。
完全に闇社会に生きる男で金髪で全身黒づくめ・まるで死神のような風体の彫眉や、パンパン女から這い上がり今やこの界隈の顔。相手の腹の底まで見通してしまう程の洞察力を兼ね備えた、絶えず悲しみを湛える女主人・勢子など、およそ今までの彼の人生に縁のない・理解できない人々が一方的に彼に押し寄せてくる。

一方「斎藤さん」という辞書以外何もない部屋は彼自身の内面世界を象徴的に表し、
世界から逃避し断絶しようとしながらも、鍵をかけてないように他者からの救いを求めている部分もある。これに対して周りの人々がそれぞれの理由で彼にコミットメントしようとしている。それを受け入れる彼自身も徐々に変わっていく。
このような部分での彼の内面の描き方は素晴らしい。

このダメ男の役作りと双璧を成して、いやそれ以上に素晴らしいのが寺島しのぶ演じる「綾」の存在である。正直な所、まさに生島にとっての「蓮の花」そのものである綾は、誰もが納得する美人では案外務まらない。寺島が成りきっているのは、尼崎の街から生まれる生活臭はほのかにするが、一方どことなく宙を浮いている感じがあり、そしてはっきりと分かる女性的な「肉体」をもつ女性である。その彼女の顔は決して流行を感じさせず、それゆえに想像の中の「女性像」としての永続性を強く帯びてくる。例えば「一重まぶた」と微笑ウェおたたえた「厚い唇」は多くの男達が想像するであろう「天女像」を連想させる。このような女性が夢二の名画のように振り返る姿を目撃すると、男はその瞬間、白昼夢を見てしまうような錯覚に陥ってしまうのである。
やがて綾は背中にもつ迦陵頻伽(かりょうびんが)の刺青のように、遊女のごとく彼を極楽へと誘う存在となる。それは、彼自身が探していた「生きる喜び」を強烈に感じさせてくれる。
彼女の肉体に溺れ、狂い、生の輝きを感じそして奈落の底に落ちていく。寺島はまさに肉体で演技をする女優だ。官能に包まれる時の彼女の筋肉の収縮、その表情はたやすく真似できるものではない。
そんな彼女は男にいう「この世の外に連れてって」と・・・。


この作品「肉音」が語る。
静寂の中で響く何気ない肉にまつわる「生活音」が強烈な印象を残す。
内臓をさばく音、肉体に刺青を入れる音、男女が交わっている音、そしてモノを食べる音など・・・
全編を通してクチャクチャ・グチャグチャという「肉の声」にあふれている。
物語の終盤で彼女が別れていく時に、キャラメルをグチャグチャ舐めながら去っていく所もこの延長上にあるのだろう。
この一貫した声は、生の意味を探している男にとっての一つの答えであるようにも感じられる。

撮影も非の打ちどころがない。
くっきりとした陰影を多種多様に使い分け、奇をてらった技術の披露ではなく、
落ち着き計らって物語を視覚的に進めていくよき手引きの役割を果たしている。

ただ残念なのは、赤目以降のシーン。
まるで日本の原風景のごとく生い茂る緑の中で、多くのいい絵が取れたことは安易に想像できるが、それをあれだけ長尺でふんだんに使ってしまうと観ている側には苦痛である。あの部分を効果的に演出するのであれば、あえて尺を縮め、カットを厳選すべきであった。この辺りの貧乏性が足を引っ張る結果となってしまっている。


まだまだ語る部分に尽きないこの映画であるが、
作品にこれほどの求心力がある理由は、映画の中に散りばめられたメタファーが観客の内面に存在する「文学的なもの」いいかえれば「ダメな部分」を多いに触発するからであろう。
この根底に流れる世界観を映像で完璧に作り上げた所にこの作品の極みを感じる。
商業的には成功しないかもしれないが、このような作品こそ総合芸術の冠を持つ映画たるにふさわしい作品であると考える。

合掌


【総評】☆24STARS☆ 
脚本★★★★
演出★★★★
役者★★★★
撮影★★★★
美術★★★★
音楽★★★★
(各項目5点満点で計30点)
 映画が好きです。