15『イエスの生涯』 遠藤周作


―「愛」は多くの場合、現実には無力だからだ。現実には直接役には立たぬからだ。−

―人間は永遠の同伴者を必要としていることをイエスは知っておられた。自分の悲しみや苦しみを分かち合い、共に泪をながしてくれる母のような同伴者を必要としている。−

(共に本文より)

何故イエスはあのような無残な死を迎えなければならなかったのか?
その「運命の時」に彼を裏切った「弱虫な」使徒たちは、何故大きな苦しみに耐え
己の命をかけてまでの壮絶な布教活動に邁進するようになったのか?

2つの疑問に対し、日本人作家・遠藤周作がその想像力を限界まで余すことなく発揮し、
一つの回答を導き出した力作である。
遠藤の綴るクリスチャン文学は海外でも非常に評価が高いという。
その理由の一つに
本書を読んで分かるのは、作家とは例えば聖書の一行のように「ある一つの情報」からそこには書かれていない周辺の環境を想像し、音、色、匂い、そして絶えず変化する人の心情の移り変わりの現在地までを的確に把握することができる類のものであるのだと。
それはまるで一行のト書きから3次元の世界を構築する映画監督の作業と類似している。
遠藤の作品にはそんな深い洞察力や想像力の産物である「人間」が生き生きと描かれている。

大衆はイエスに「奇跡」や「ユダヤ民族解放運動のリーダ像」を求める。
しかしそれをせず、現実には「愛」はまったく無力であることを痛いほど知っていながらも、「愛」を与え説き続ける師・イエス・・・
その意味を、彼を囲む大衆やその使徒ですらですら理解することはなかった。

唯一イエスの真意を知りながらも、その行動に歯がゆさを感じ、葛藤し袂を分かち、
彼に挑戦しそして裏切り、それでも彼を信じ愛し、その果てに彼の真意を理解し最後には贖罪のため己の命を捧げた男・ユダ。
彼の師への心情の細やかな変化の描写、そして「救世主」と「裏切り者」2人の間に流れた言葉を介さない心の交流に対する表現力は一級品だ。