3『アヒルと鴨のコインロッカー』伊坂幸太郎

創元推理文庫 2006

紙に書かれた字から物語を想像させる表現媒体「小説」の特性を最大限に生かした
ミステリー作品。

あらすじは
大学入学式前に一人アパートに引っ越してきた青年・椎名は、同アパートの隣人で
謎めいた男・河崎に会って早々普通ではない相談を受ける。
それは「広辞苑」を奪うため本屋強盗を手伝ってくれ、という内容だった。
半ば巻き込まれる形で、引っ越し2日目には共犯者として強盗に入った椎名。
この強盗事件が、2年前に起こった「市内連続ペット殺害事件」と関係しているとも知らずに。

河崎のかつての恋人・琴美はペットショップに勤める活動的な女性。
その恋人はブータンからの留学生で片言の日本語のドルジ。
彼の日本語教師が絶世の美男子の河崎だった。
青春を謳歌していた3人は、ペット殺害事件の犯人と関係したことによって
それぞれの人生に陰を落として行く。

過去と現在を行き来しながら、次第に明らかになってくる当時の3人の物語。
2年たった今の終わらないその物語にやがて椎名も関わって行く。

(以降ネタバレ内容を含みます)
作者の小説における表現技法はかなり高い。
物語は「現在の椎名主観」と「過去の琴美主観」という2部のフラッシュバック構成となっている。
もはや作者のお家芸ともいうべき、時間軸をいじって物語を効果的に盛り上げる手法だ。
映画だと「メメント」などの作品があるが、基本フラッシュバックをしるぎると観客が混乱するので、映像では多用できない。
(ちなみに名作「GOD FATHER PART2」で監督コッポラが、ピトとマイケルのフラッシュバックを多用した所、訳が分からなくなった為、何度も編集し直して今の形に落ち着いたという話もある)
伊坂作品はチャプターが短く、センテンスのみでカテゴライズされていることが多いため、
たびたび変わる時間軸にも読者が対応できる作りになっている。

さらにこの作者、読者をだますテクニックは一級品だ。現在の河崎がブーアン人ドルジであるという事実を見破れる人はそうそういないだろう。映像であれば、河崎とドルジの顔をみればバレてしまうので使えないカラクリだが、字から想像する小説ではおの威力は大きい。

そんな技法を駆使して書かれている今回の話は、前半で琴美がペット殺しの犯人と遭遇した時からずっと、見えない恐怖が読者を襲う。

犯人である若者3人組の描写(特に会話)が非常に恐ろしい。
暇つぶしに無力である動物をいたぶって殺すという行為に興じながら
動物が苦痛にもだえる姿を「最高だった」といい、「人間も同じ要領なのかな」と想像し
その舌が乾かぬうちに「とりあえず、安定した職業につくのはいいことだよ」とか
「ファーストフードでダラダラしよう」という感覚。

彼らは己の将来や空腹のことを考えるように、日常的に動物の命を無惨な方法で奪い娯楽と同じように「楽しさ」を感じているのである。
彼らからは底知れない「悪意」がありありと感じられる。
琴美は何の落ち度があった訳でもなく、偶然「この悪意」に遭遇してしまう。
その彼女に発せられた「そろそろ人間もありかもよ」というセリフはすべてが凍り付く程恐ろしい。

読者も琴美が無事ですむはずがないことを予感する。
案の上、椎名の現在編では彼女だけがまったく出てこない。
「何が起きたのか?」それが知りたくて、恐怖に震えながらページをめくっていく。

作者はこの作品で今までにない見解を示す。
因果応報が信じられているブータンからきたドルジは、何故琴美が彼らと関われなければならないのか?と思う。一方琴美は「こっちが悪いことしてなくても襲ってくるもののあるんだ」と話す。
まさにここが現代の狂った事件に巻き込まれた被害者と加害者の関係を表している。

悪い事をすれば自分に帰ってくる、輪廻転生で何に生まれるか分からないから悪いことができないという信仰心が犯罪の抑止力になっているブータン
一方の日本は、犯罪を起こした者は法で裁かれるが、その覚悟を始めからした者や逃げおおせるものには、犯罪への抑止力とはならない。結果、関係のない他者が被害に遭う。

犯罪の加害者、被害者の話は、これまで伊坂作品でたびたび登場してきたが
この問題を今作では、日本では薄れてきた「信仰心」いいかえれば「道徳観」が
犯罪の抑止力になるのでは、という見解を示している気がする。
以前の伊坂作品「重力ピエロ」で「名探偵は被害者を救わない。誰が犯人かを当てるだけだ」というくだりがあったが、作者は何も出来ない探偵よりも、被害者を救う(出さない)方法を模索したのではないだろうか。


ペット殺しの犯人を絶対に許せなかった琴美は結果的に、犯人に殺されてしまう。
この激憤する程の理不尽な死に対して、作者はブータンの信仰を用いることによって、
琴美を救済しようとする。
彼女は命が消える瞬間夢を見る。その中で未来のドルジが犬を助けようと道路に飛び出した。そこでドルジは彼女にいう「死んでも生まれ変わるだけだって」と。彼女はドルジであの世に会えるかも知れないと思い、散って行く己の命が生まれ変わることを最後の希望にする。

思わず目頭が熱くなるシーンである。
琴美の最後には、今までの作品には見られなかった、被害者へのレクイエム、
いいかえれば次の命への希望が感じられる。
琴美を見る作者の目線は優しい。

さらに作者は、琴美の死が周りの人間にも影響を与え、彼らがそれぞれに変容していく所を描くことで、それが無駄ではなかったことを強調する。
例えば、他人にまったく関心を示さなかった麗子が、「誰かが不幸になることは嫌なんだ」と変わったように。
そんな悲しみ傷ついた人たちに、何も知らない椎名は接する。
事情が分かった彼は、自分は物語の主人公ではないことに気づく。
それはつまり、自分と同様に他人にも同様の物語があることを気づくことだった。
相手のことをもっと想像すること。それは他者の人生に思いを巡らし、
自分と同じように喜怒哀楽のある存在であることを認め、敬う事。
その想像力の欠如が他者を不幸にする、と作者が言っている気がするのは私だけだろうか。

さきに挙げたテクニックや相変わらず緻密な構成もあり良く出来た作品であるが
残念なのは、椎名の立ち居値である。
椎名がいなければ、3人の物語を客観的に掘り起こすことはできなかった。
しかし、椎名自身の父の入院エピソードや、彼の帰郷がこの物語のテーマとどうつながっているのかがいまいち見えない。結局ただの傍観者という感じになってしまった気がする。

ちなみにこの作品、映画化もされているようなので、機会があったら鑑賞してみたい。

【評価 各5点満点】
ストーリー4 人物描写3 文章力4 オリジナリティ5 その他(トリック)5 合計21/30