12鉄道よ。公共物としてのプライドと意地を見せてくれ。

特に都心部で多くの人が利用する鉄道。
隔離された空間である車とは違い、多くの人々が利用する公共の場である訳で
利用するにあたり最低限のマナーが存在する。
携帯電話での通話を控えるとか、優先席は必要としている方々に譲るとかがそうである。
ときに老若男女に関係なくとんでもない奴もいるが、
多くの利用者の方々はそれなりに守っているケースが多い。
加えて当然に利用料金はちゃんと払っている。いいおお客様である。

一方、サービスを提供する側はどうであろう?
この巨大交通施設に従事している方々は見る限り勤勉な方が多く、
よくやっていると思うが、肝心の「箱」の部分は相変わらずひどい。

たとえば、朝のラッシュ時に椅子をすべて畳んで乗れるだけ詰め込まれる様は、
忌まわしき「アウシュビッツ」を連想させる。
あの窒息死者が出そうな程、無残に詰め込まれている中では
(何気ないことだが毎日あの状況を経験している人には、尊敬の念を覚える)、
これからクリスマスを控え世界中から慕われるだろうキリストが「汝の隣人を愛せ」と熱心に説いても
まったく効果がないほどに、人間性が無視される空間である。

数年前から、この無残な空間である変化を感じる。
それはベビーカーを押している母親が乗っていることである。
私は地方出身なので昔の都心電車事情は分からないが、
東京で生まれ育った友人に聞くと「確かに昔はベビーカーは電車にのっていなかった」という。

収穫された稲のように、身を細くして己の意思もなく疲労で頭をうなだれながら、
電車という「出荷箱」に無造作に詰め込まれている乗客の中、
その積載量に占める幅は大人3人分はあるだろうベビーカーはさながら、
稲刈り機のような存在感がある。
過酷な状況下では、本来は良心的なビジネスマンでも、その存在にいい顔はしないだろう。

他方、排気ガスを出さない生活をしている善良な市民である幼子を持つ母親だって、
どこかにいく用事もあるだろうし、買い物や仕事もあるのだから、当然電車には乗る。
それが満員電車の時間帯であることも多々あるだろう。
そのたびに周りの黒スーツ軍団に、恨めしい目で毎度睨まれたら、たまったもんではない。
両者には互いに非はないのに、不毛なわだかまりが生まれ、憎悪ばかりが肥大する。

そもそも少子化の中で、子供は宝だ、日本の未来にとって財産だ、
などと「偉い方々」はよく吠えるが
(中には我々凡人には理解できない柳沢伯夫「大先生」のような崇高な思想を持っている人もいるようだが)、
毎朝繰り返されるデスマッチを実際に経験している人がどれだけいるのか。

子を産んで育て、車を使わないという地球に優しく、
日本社会の未来にも優しい、善良な母子自身に対する環境は厳しい。

万人にとっての公共機関である電車は、もっと万人にとって優しくあるべきである。
女性専用車両が設けられたのだから、社会のプライドとして次はベビーカー、
乳幼児専用車両位もうけてほしい。
「その車両じゃ、利用者が少ないから利益が出ない。一部の人々を優遇している」などと、
鉄道会社のお偉い方はいい出すに違いない。

彼らにこう言いたい。
そもそも市民の足である公共機関なのだから、利益がでなくて当然だろうし、
社会全体で守らなければならない存在を手厚く保護して何が優遇だ、
と公共施設を運営するモノとしてのその思想の貧困さを問いたい。

赤字経営になっても結構。
よく分からないダムや銀行に融資する税金を、国からもらえばいいではないか。
料亭や高級車やゴルフやコンパニオンなどに湯水のごとく消えて、
半世紀たっても出来ないダムだけが残るような税金の使い方よりも、
よっぽど市民の理解を得られるだろう。

高度経済成長期から今に至るまで、
むしり取るように日々市民から運賃をとってきた鉄道業界には、
犬や猫の乗車に運賃を課す前に、市民の足としての己の立場を見直してほしい。