3ミュージカル『Xanado』  クリストファー・アシュレー演出


【スタッフ】
演出:クリストファー・アシュレー:『オール・シュック・アップ』『ロッキー・ホラー・ショー
脚本:ダグラス・カーター・ビーン『アドバイス・フロム・ア・キャタピラー』:『3人のエンジェル』
美術デザイン:デヴィッド・ガロ 『ア・ケイタード・アフェア』『ラジオ・ゴルフ』
作曲・作詞:ジェフ・リン 、 ジョン・ファーラー
音楽監督ジェシー・バルガス『グローリー・デイズ』『ザ・リッツ』
照明:ハウェル・ビンクレー 『ア・ケイタード・アフェア』『ジプシー』

【キャスト】
キ―ラ:エリザベス・スタンリー 『クライ・ベイビー』『カンパニー』
ソニー:マックス・フォン・エッセン『ジーザス・クライスト・スーパースター』『レ・ミゼラブル
ダニー・マクガイア/ゼウス:ラリー・マーシャル『ヘアー』『フルモンティ
メルポメネ/メドゥーサ:シャロン・ウィルキンズ『オール・シュック・アップ』『スーシカル』『ザ・ライフ』

【あらすじ】
時は1980年代のカリフォルニア。女神キーラは、大きな夢を持ちながらも今一つ売れずにさえない貧乏画家のソニーと知り合う。ソニーの大きな夢、それは「今までにない、新い流行発信基地=音楽の殿堂“世界で初めてのローラー(スケート)ディスコ”を作りた!!というもの。2人を取り巻くのは、ソニーの夢に賛同してくれる粋なお金持ちや、
キーラの父で厳格なゼウス王、そして身体は男だけど心は乙女な女神など・・・様々な人間(?)たち。人間と女神2人の許されない恋の行方はどうなる?はたしてソニーの夢は叶うのか!? 
―公式HPより抜粋―http://www.xanadu2009.com/intro.html


ザナドゥー・Xanado とはそもそもモンゴル帝国フビライが作った夏の都であり、時代を経て18世紀にイギリスの詩人サミュエル・テイラー・コールリッジが『クーブラ・カーン』という作品の中で歓楽の都として描いて以来、桃源郷の意味をもつ言葉であるそうだ。
この作品は言葉通り、子供から大人まで楽しめるブロードウェイミュージカル。
難しいお話でもなく、最終的に「愛こそが芸術でザナドゥーである」という明快な着地点に落ち着く。
80年代に大コケした映画「ザナドゥー」の影が大きいからだろうか、あちこちにその世界観の設定をバカにしたブラックコメディの要素が盛り込まれている。
セリフには
「1980年代は芸術には不毛の時代だ」
「レッグウォーマーをしているから弱点のかかとは守られた!」
「昔ザナドゥーというひどい映画があった」とか・・・
パフォーマンスでも
ヒロインが風に吹かれ歌っている前に扇風機で風を当てる男がいたり、
シンデレラのガラスの靴ではなく、ローラースケート靴を片手に短パンタンクトップ男が愛を高らかに歌うくだりなど、そのバカらしさに思わず笑ってしまう。

しかしメインはやはり「踊り」と「歌」だ。
何でもないお話をこの2つの要素で観客の意識を釘漬けにしてしまう、あの役者達の圧倒的なエネルギーは恐るべきものだ。
ステージから絶え間なく注がれる音とリズムで己の体がビートを刻みながら、
その熱気の中で私はこんなことを脳の中で転がしていた・・・。

名実共に、アメリカを代表する「SHOW」である「ミュージカル」。
それはこの国の短い歴史のように、「若者」が持つ性質:真っすぐで希望に満ちた未来、単純明快な分かりやすさ(無知でも分かるほどに)、そしてひたすらに「バカ」がつく位、前向きなエネルギーに満ち溢れた娯楽作品という印象を受ける。

一方、ヨーロッパには「オペラ」という舞台芸術がある。
栄華と退廃を極めた歴史ある国の産物だけあって、長い経験から得られた「老人」のような、世界や人生の酸いも甘いが刻まれており、品位があり教養的で時に陰鬱で儚げであり悲劇的である。

一方で日本は・・・

今目の前にあるのは、若さ溢れと力みなぎる「アメリカそのもの」である。
この同じ土壌・表現方法で日本人が勝負しても早々叶うものではない。
やはり自分達にとって有効な表現方法を考えなければ・・・

興奮はいつしか、焦りと自省に変わっていた。