2・2「印象派・NEO わたしたちの赤ずきん 」 夏木マリ



むかしむかしあるところに、一人の可愛い少女がいました。
可愛いの定義とは?
おばあちゃん、そして赤ずきんちゃんを食べる狼とは?
食べるという行為、そして欲。
驚きの90分に仕上げる。
夏木マリ


これは
自身の身体を通してさまざまな表現を生み出す「プレイヤー」
夏木マリの長年にわたるライフワークであり、
自身が語っているように「舞台が、役者が台詞を読むことにこだわりすぎることに強い疑問をもった」ことに対する彼女自身の一つの答えでもある。

今回の「わたしたちの赤ずきん」という題にまとめられるステージは
女性が持つありとあらゆる生の感情が色鮮やかに、残酷に、激しく、そして美しく表現されている。

作品のトータルプロデュースをする、彼女の野心的な狙いは
絵画、音楽、詩、ダンス、神話、歌、身体表現、多言語、手話等々を縦横無尽に横断しながらも、「夏木マリ」というフィルターを通してすべて一つのステージに集約されている。
そこには彼女が今まで歩いてきた数多くの世界が刻まれているようだ。

時として見る人間に優しくない、非常に攻撃的なパフォーマンスの中で
それらの表現は、観客の記憶の中から、さまざまなものを引っ張りだしてくれる。
例えば、あるダンサーがしなやかに体を反るそのボディーラインは、
バチカンにあるミケランジェロピエタにおけるイエスのボディーラインのように。
無論、それらに正解などなく感じ方はそれぞれである。

私は改めて確信した。彼女はやはりただの女優ではなく、正真正銘のアーティストであると。

プレイヤーたちだけでなく、舞台装置や照明も美しい。
例えば
まっ白なピアノの上で、長い髪の女性が朽ちている姿は、ただうっとりするほどの官能美ですらある。

チケットをもうひと公演分とっておけば、と強く後悔した。