6『手紙』 生野慈朗監督 2006



原作が東野圭吾ということでも話題になった作品。
あらすじは


両親がなく、兄弟2人で力を合わせて生きる家庭があった。
兄武島剛志(玉山鉄二)は、肉体労働で家計をささえていた。
己の学のなさからくる苦労を弟武島直貴(山田孝之)にはさせたくないと、彼を大学に行かせるため
必死に働いていた。直貴はそんな兄の想いに応えるよう、成績は学年でもトップの実力。

しかし剛志は無理があったって、持病の腰痛を悪化させ、職場を解雇されてしまう。
弟の学費を念出せねば、という追い込まれた状況は彼を強盗という犯罪に走らせてしまう。
侵入した先の家主ともみ合いになった結果、相手を死なせてしまった剛志は、無期懲役実刑を受ける。
一人残された直貴を待っていたのは、「殺人犯の弟」という過酷な現実。
周囲からの激しい差別の中、住居を追われ、職を転々と変え、周囲との関係を断ちながら、一人生きる直貴。何度も掴みそうになった夢も、兄の存在が明らかになる旅に潰されていく。
そんな彼のもとには、定期的に届く兄からの手紙があった。

犯罪を犯した加害者側の家族に降りかかる厳しい現実を描き、
「罪を償うこととはどういうことなのか?」という大きなテーマの元物語が展開されていく。

今回の配役では、兄役の玉山鉄二が非常によい。おそらく本人が演技をしているというより、そう見えてしまう類の良さがある。
無学で弟思いで、強盗に押し入った先で、偶然帰宅した家主に「すみません、許してください」といってしまう
性格の男が様になっている。

玉山の本来は美しい顔が、過酷な肉体労働で髭面になっている表情からは、
ほんとに「無学で、世渡りが下手で、真面目で、弟の幸せだけを糧に生きている」健気な青年と見えてしまう。
映画「ダンザーインザダーク」でビョークが演じた「テルマ」と同人種の匂いを感じた。

原作を読んでいないので元がどうなのか分からないが、やはりこの兄と弟との2人での暮らしのシーンがあまりに短いと感じた。
山田孝之扮する直貴には、仕事や結婚を奪われた「犯罪者としての兄」への多大なる恨みがあるだろうが(これはよく描かれている)、
同時に長い間2人で生きてきたのであれば、自分を愛し自分の幸せのみを願って人生を削ってきたたった一人の肉親である兄への愛情の胸の内に同居しているはずである。
だから、直貴はその2つの間でもがき苦しむというのが人の気持ちということになろう。

しかし、本篇では終盤までそのような直貴の葛藤は見られることはない。
ただ、兄に罪を償うことを促し、自分のその罪の償いの中で苦しんでいるだけである。
この表現は、確かに犯罪の抑止力とはなりえるかも知れない。
「罪を犯すと本人だけでなく、みんなが不幸になる。」とはまざに正論だ。

ただ、先に書いた玉山演じる剛志のような信仰にでもすがって前向きに生きるだろう真面目な社会的弱者が向かい合っている厳しい現実、犯罪に手を染めざるを得ない背景や葛藤への深い洞察なくして、「罪を償うことは・・・」というテーマは真に浮彫にはなってこない。
おそらく監督としては、話の途中途中、弟に届く手紙の内容から、それを想像させようとする作りだったのだろうが、
おそらくそれは成功していない。刑務所で生きる兄の孤独感ばかりがクローズアップされてしまっている。

であるから、最後に千葉の刑務所で弟が兄の前で漫才をして兄について語るくだり。
ここはよくできた構成であり、玉山鉄二の祈るように弟を涙ながらに見つめる表情も素晴らしい。
あの顔がまるで修験者であるような、苦しみにまみれながらも、一筋の光明を見出したようなどことなく安らかでもあるようにすら見えている。
おそらく先に書いた、彼が何故犯罪に手を染めてしまったのか?という部分がもっと入念に描写されていれば、
ここは「本質は善良な市民」に対する神からの救いと充分とれる、くだりになったはずだ。
しかし実際には、小田和正の「言葉に出来ない」がかかり、主題と歌っている歌詞の不協和音を観客に感じさせ
強引に「よかったね」でまとめようとするトレンディードラマの神様が降りてきてしまった。
非常に残念だ。

【評価 各項目5点満点】
脚本4 演出2役者3.5 撮影2 美術3 
音楽2
計14.5/30
それでもやっぱり映画が好きです。