14この発想だから、いつまでたっても前に進めないのだ。

予算再編成「仕分け人」への非難がかなり高まっているようだ。
特にその矢面に立っているのが、蓮舫議員である。

良識あるジャーナリストであるはずの立花隆でさえも、

〜「バーバリアン(野蛮人)」と形容。
作業風景の印象について
「訳のわからない人たちが訳のわからないことを論じている」
と突き放した。〜とある。
http://news.nifty.com/cs/item/detail/reaspo-20091128-353/1.htm

しかし、果たして今回の行動はそこまで非難されるものなのか?

蓮舫議員の目立った発言に便乗して、
またしても議論の方向性・本質がすり替えられている気がして怖い。

そもそも「仕分け人」が生まれた背景は、
国民の犠牲の上に胡坐をかき続けた長年の自民政治のつけ
(国債などの借金や歪んだ弱者切り捨ての社会システムなど)を
どうやって清算するべきなのか?という点にことを発している。

現政権は、自分たちが半世紀に渡り行ってきた「愚政」をまったく統括せず、
いっぱしの「野党気取り」で野次を飛ばしている
あの「無責任中年集団たち」の尻拭いを必死でしている訳だ。

事実、今まで使われている金の内情を聞くとひどい。
例えばJICA本部の賃料は一等地である麹町でアホがつくほどの高額。
フライトはビジネスクラスを多用していながら、「予算削減に努力をしている」と
平然とぬかす役人の神経はもはや常人のものではない。
開発援助の資金をお前らが無駄使いしてどうすんだ!
海外によく行くなら地価の安い成田付近に
事務所でも借りるような努力をしてみたらどうだ!
また自衛隊のテーマパークの予算に年間・何千億も使われていた事実には唖然とした。

よくもまあこんなものを長きに渡り放置したものだ。

こういう部分は当然削減の対象になるのだが、
今回「仕分け人」を非難する一部の知識人がつついているのが
「学術分野の予算削減」の点である。
天然資源の乏しい日本の生命線でもある知的産業への投資の減額が
国の未来を暗くするというのが、彼らの言い分だ。
夜の報道番組でもこの点についてキャスターや評論家がいろいろとコメントしていた。

しかしこの論点、「根本的に違う」のではないか?と私は思う。
そもそも「財政がない・減少している」状況で、
すべての分野の予算見直し・削減するのは
「ひどくまっとうな行為である」はずだ。

加えて予算が削減されたからといって、
研究ができなくなる訳は当然ない。

実際に民間企業では予算削減の中で、新たなイマジネーションから状況を打開する
アイディアをたくさん出しているではないか。

繰り返すが、限られた予算の中で物事を運営するのであれば、
全体のパイが減れば自分のところへの還元率も低くなるのは子供でも分かる道理である。

それを「お前らは日本の未来をどうするんだ!夢を奪うのか!」と勇んで野次ったところで、
まったく同じ土俵での議論になっていないのは当然である。

だからそのような愚痴を皆で一斉に叫べば叫ぶほど、
「お金がないと何もできないよー」と坊ちゃんの如く
甘えているようにしか聞こえてこないのだ。

しかもこの削減予算を未来永劫続けるといっている訳ではないという点にも、
反対者達の想像力が及んでいないのが悲しすぎる。

先にも書いたが、問題はそもそも長い間政権を運営してきた自民党に責任があるのであり、
不満があるのであればメディアをはじめ、
まず野党席にいる「彼らの責任」をまず問うべきであろう。

しかし不思議だ。
国家予算の抜本的な見直しとして
「予算を削減する会」という趣旨で集まっているにも関わらず「
うちの部署は努力すればなんとかなるからどうぞ削減して下さい」という
役人がまったくいないのは何故であろうか?

「予算をブン取ってくることが立派な仕事」という役人の悪しき風習がこの点にも垣間見れる。

結局、無駄のつけはすべて我々国民の血で償われる訳である。

目先の餌が減らされただけで青筋立てて怒るのではなく、
冷静な大人としてこの社会状況を考慮した上で、
今何が必要なのか?何を努力すべきなのか?を真摯に考えて頂きたい。